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「書院」とは? 寮生活・男女共学だった?|中国時代劇トリビア#72

元・山賊のイケメン秀才と、控えめだけど心優しいヒロインとの胸キュンラブ❤がたまらない! 近年、歴史ドラマのジャンルの中でも注目度の高い学園ロマンスの人気作「若葉の詩(うた)~青青子衿~」。今回のトリビアでは、このドラマの舞台となる「書院」について、探っていきたいと思います。 


「若葉の詩(うた)~青青子衿~」より


中国には古くから学問の中心となる教育機関が存在し、漢代には「太学」とよばれる官立の古代大学があったことが分かっています。後に新朝の皇帝となる王莽が、前漢平帝の宰相となった際に、この太学での教育を重視し、教師と学生のための講堂や宿舎、公共施設の整備などを行ない、機関の充実をはかりました。

この時代から「学士同舎」(教師と学生が同じところに住む)という形式がとられ、学内に宿舎が設けられるようになり、東漢の質帝の時代には、3万人余りの学生が太学の宿舎に住み、学生の妻子も一緒に住めるまでになりました。しかしあまりに学生数が増えてしまった為に宿舎が不足し、一時は学外に住むことが許可された時期もあったそうですが、その後もこの学内の宿舎に住むという形式は継続されていきます。


「若葉の詩(うた)~青青子衿~」より


ドラマの中ではこうした学習施設に住むことが規則…というように表現されるかと思います。実際のところ、太学で学ぶ学生たちが宿舎に住まうことは、権利や規則ではなく義務化されたもので、その代わりに学生たちには、年に2回、各1か月の長期休暇が与えられ、この時にだけ故郷に帰ることが許されたそうです。

こうした古代大学は、時代によって名称を変え、その後も存続し続けていきます。

宋王朝の時代には、科挙による人材選抜が重要視され、官立学校は主に科挙試験準備のための施設として機能していきます。多くの知識人を必要としたこの時代には、官立学校だけでなく、学問研究や教育が行われる機関として、民間の学問所(私塾)である「書院」が登場します。

「書院」は本来“書物を置く場所”という意味で、唐の玄宗時代においての書院は、宮廷書籍の所蔵施設、または個人の読書の場を意味していました。しかし、そこに所蔵される書物の内容を講義することなどが行われるうちに、次第に教育機関としての役割を持つようになっていきました。


「若葉の詩(うた)~青青子衿~」より


「書院」が民間教育施設の名称となったのは、北宋初期の「白鹿洞書院」が始めとされているそうです。書院での教育は、個人の読書と学問などを深く究めることを主とし、洞主、山主、山長(←ドラマにもよく登場する呼称ですね!)などと呼ばれた書院の主催者が、教鞭をとることになります。こうした書院でも、教師と学生が共に宿舎に住み、学習していました。

ドラマの中では、男女が一緒の学校に通っていますが、実在の学校や書院も男女共学だったのでしょうか? 

官立学校は古くは官僚を養成する機関であり、後に科挙試験受験者のための教育機関となった性質上、男子学生のみが入ることができました。一方、私塾である書院においては、主催者の方針で男女共学が許されることもありました。明代の思想家・李卓吾は女子にも講義を行ない、清代の文人・詩人である袁枚は、婦女文学を提唱して女弟子を多く集め、詩を教えたと言われています。しかし、世論的には彼らの理念は受け入れられることが難しく、一般的に男女共学は例外的なことだったようです。

Text:島田亜希子
ライター。中華圏を中心としたドラマ・映画に関して執筆する他、中文翻訳も時々担当。『台湾エンタメパラダイス』『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)にて執筆記事掲載中。

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